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ピアニスト後藤・イシュトヴァン・宏一「21世紀型ピアノレッスン」

B・バルトーク辞典

B・バルトーク辞典

B・バルトークの意見

現在でも、ハンガリーを代表するピアニストは?と訊くと、大抵の人はF・リスト、と答えます。リスト自身、自分はハンガリー人である、と公言していたし、ハンガリーと名の付く曲を何曲も作曲しています。しかしリストは、ハンガリー語を話すことが出来ず、ハンガリーに来た際には通訳が必要だった様です。これは、リストが幼少の頃から国外に居て、ほとんどハンガリー(民衆的)に触れてなかったためだと思われます。僕が思うには、本当の意味でハンガリーを理解し、それを音楽に同化した作曲家は、B・バルトークだと考えています。

「バルトーク音楽論集」(バルトーク著)のなかで「リスト」について大変興味深い事を言っています。

「私達がリストを作曲家として、先人達や同時代者たちと比較しますと、彼の全作品の中には、他のどの作曲家にも見出しえないような独特な現象を見ることが出来ます。つまり、リストの前の時代やリストと同時代の大作曲家達の中には、リストのように最も多用で異質な種々さまざまの影響を、あれほどにも喜んで受け入れたものは一人も居なかったということです。

「リストは彼自身にとって異質なものでも(通俗曲、イタリアのアリア)彼自身がそれらを体の中に取り込んで、自分自身の要素と結合させた。彼は言葉の最良の意味における折衷主義者でした。つまり、異質のものから一切のものを自身の中に摂取しつつ、同時に自分自身のものからいっそう多くのものを付け加えていくような人である、ということができるでしょう。」

「しかしながら、リストの作品の中には、互いに融合しがたいような要素もあります。たとえば、グレゴリオ聖歌とイタリア風なアリアとがそうです。こうしたものは、リストの偉大な芸術といえども、一つの統一体に練り上げることが出来ないことがありました。」

「ここで、一つだけ例を挙げておきましょう。それは「死の舞踏」というピアノと交響楽のための作品です。この作品は始めから終わりまで悲痛なまでに不気味ですが、事実、これは「Dies irae」というグレゴリオ聖歌のもとに構成された、一連の変奏曲にほかなりません。ところで、この作品の真ん中あたりに、8小節近くにもわたって、ほとんどイタリア風ともいえる、心に深く訴えるような変化形が見出されます。リストはこれによって、あれほどにも暗黒と不気味さのみなぎっている世界の中に何か光明のようなものを照射させたいと、明らかに意図的に考えたのでした。この作品全体は、逆らいがたいまでに魅惑的な効果をいつも私に及ぼしますが、楽曲全体の中のこの小部分を、私はどうしてもその場所にふさわしいものと感じることが出来ません。それほどまでもこの部分は、作品全体の統一的な様式とちぐはぐなのです。リストの作品の中には、この様に全体と相容れない、様式の統一を破るような小さな部分が見出されます。